錆びても、音が生きていた
こんにちは。整理人・岡田です。
遺品整理をしていると、時々、時間が止まったような空間に出会うことがあります。
先日も、そんな現場の物置きの奥から、ひときわ重い存在感を放つものが出てきました。
イメージ画像です
旧ナショナル製の冷蔵庫。
白いボディは黄ばんで、角には錆が浮き、取っ手の部分には手の跡のような黒ずみ。
それでも、コンセントを差し込んでみると――
ブゥーン……
低く、かすかな音を立てて、モーターが回り始めました。
その瞬間、胸の奥がじんとしました。
何十年も前、台所で家族の声を聞いていたであろうその機械が、
いま再び、ひとりで息をしているのです。
冷蔵庫が語る「暮らしの残響」
昭和の家電は頑丈で、正直すぎるほど真面目に働く。
デザインは素朴で、静かにその家族の生活を支えてきた。
冷蔵庫の中には、当時の暮らしが詰まっていたのだと思います。
手作りの漬物、氷のトレー、そして麦茶の入ったガラスピッチャー。
電気の音が、どこかであの頃の笑い声と重なって聞こえる気がしました。
現代の最新家電にはない“人間の体温”を感じるのです。
それは、長年連れ添った家族のような存在感でした。
モノは、ただの道具ではない
遺品整理の仕事をしていると、
動かなくなった家電よりも、まだ動く家電のほうが寂しく見えることがあります。
それは、“主”を失ってもなお、働こうとする姿があるから。
冷蔵庫の奥から響く低音が、まるで「まだ大丈夫だよ」と語りかけているようでした。
その音を聞きながら、私はふと手を止めてしまいました。
時代は進み、技術は進化し、生活は便利になった。
それでも、この古い冷蔵庫の音には、
どんな新製品にも勝る「ぬくもり」がありました。
さいごに
最後にコンセントを抜く時、
小さく「ありがとう」と呟きました。
機械なのに、不思議と人のように感じたのです。
冷蔵庫の中で眠っていたのは、冷気ではなく、人の暮らしの記憶だったのかもしれません。
古いものには、時間が染み込んでいます。
そしてその時間を感じ取ることが、私たち整理人の仕事なのです。
整理人 岡田



